アメリカ覇権国家への歴史

f:id:SA28T9:20200617152415j:plain


アメリカの始まり

 フランスを始めとするヨーロッパ諸国の支援を受けながら、イギリスからの独立を果たしたアメリカは、王や貴族の存在しない初の共和制国家となった。建国当初は東海岸13州と、独立時にイギリスから割譲したミシシッピ川以東のルイジアナからなる脆弱な連合国であったが、徐々にアメリカ大陸での領土を広めた。まず1803年にフランスのナポレオンからミシシッピ川以西のルイジアナを買収し、1819年にスペインからフロリダを買収、1845年には、白人が多く住んでいたテキサスがメキシコから独立し、アメリカにより併合された。その直後の1848年にアメリカ・メキシコ戦争で勝利し、現在のカルフォルニアが割譲された。そして1867年にロシアからアラスカを買収したことで、アメリカ合衆国はほぼ現代の形となった。

 アメリカ大陸での領土を拡大したアメリカは、先住民から土地を奪い、アフリカ大陸から率いた大量の黒人奴隷をプランテーションと呼ばれる大規模農園で働かせ、タバコ、綿花、砂糖などを生産した。ヨーロッパからは新しい生活を求めて多くの移民が渡り、西部へと開拓を進めた。特に1849年頃にはカリフォルニアで金鉱が見つかったことにより、一攫千金を目指した大量の移民が西部へと移り住んだ。開拓が進み、次々と新しい州が生まれる中で、アメリカ北部と南部で奴隷制を廃止するか否かが議論となった。工業を主な産業とする北部と異なり、農業を主な産業とする南部では、黒人奴隷が主な労働力となっていたため、南部に住む人々にとって奴隷は不可欠だった。結果的にこの対立がアメリカ史上最も大きな被害をだすことになる南北戦争へと発展した。リンカン大統領率いる北部が勝利し、奴隷制は廃止されたが、南北間の政治的な考えの違いによる分断は現在まで存続する。

 

孤立主義を放棄して帝国主義

 南北戦争を終え、産業革命を経験したアメリカは急激な経済成長を遂げた。また1890年頃には西部開拓が完了し、アメリカ国内でもヨーロッパ諸国の様に、海外へと領土を拡大する動きが見られ始めた。しかしアメリカは1820年代に、ヨーロッパによる南アメリカ諸国への介入を強める動きがあったため、ヨーロッパとアメリカ大陸間の相互不干渉を約束するモンロー教書を1823年に表明していた。そのためアメリカは非常に孤立主義的で、ヨーロッパにおける外交と関わることはなかった。 

 そんなアメリカが帝国主義段階に入る直接的なきっかけとなったのは、1898年に当時のマッキンリー大統領によるアメリカ・スペイン戦争(米西戦争)で勝利し、スペイン領であったプエトリコ、フィリピン、グアムを獲得したことから始まった。その後アメリカは、ハワイやサモアの一部を併合し、太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河の管理権を手にした。ルーズベルト大統領の時代には、カリブ海諸国の内政に介入し、カリブ海政策を積極的に行なったことでカリブ海周辺は実質的にアメリカの支配下に置かれた。またアジアにおいても、中国への進出に出遅れたアメリカは、通商権や関税などを平等にし、中国が全ての国に対して同等に開放されるべきであるとする「門戸開放」を主張し、他の列強による中国進出を抑えながら自らも積極的に進出していった。

 世界中で欧州列強が植民地政策を進める中、フランスとの植民地戦争に勝利したことで覇権国家に登りつめたイギリスと、統一されて間もない新興国のドイツの対立が深まり、バルカン問題と重なったことで世界対戦へと突入した。アメリカのウィルソン大統領は当初中立を保ち、戦争への介入を拒んだ。しかし1917年にアメリカ人を乗せた旅客船がドイツ軍により沈没されたことで参戦した。実際の理由としては、泥沼化する戦争で両側が共倒れになり、どちらからも借金が返されないことを恐れたからであると言われている。

 

ヨーロッパが衰退したことで1人勝ち

 アメリカの支援によりイギリス率いる協商側の勝利に終わったが、長期化した大戦により列強諸国は大きな被害を受けた。それとは反対に、アメリカは日本と並んでこの大戦による大した損害を受けなかった国の一つであった。ヨーロッパ諸国に対する債権国となったアメリカは、世界一の経済大国となった。また戦後ウィルソン大統領が掲げた14カ条の平和原則をもとに設立した国際連盟は、アメリカが覇権国家として政治的にも国際社会をリードしていく象徴の様にも思えた。

 ところが、共和党を中心に根強かったアメリカの孤立主義を支持する勢力がアメリカの国際連盟への加入に反対し、結果的に19世紀前半で行われていたような孤立主義に再び戻ることとなった。またこの同時期はアメリカが急激に保守的になった時期でもあった。一切の飲酒を禁止する禁酒法や、排日移民法を始めとするアジア系移民の排斥、また黒人に対する人種差別が激化し、白人至上主義団体のクー・クラックス・クランが再興した。

 一方で、第一次大戦後の10数年間はアメリカの黄金期といわれる、経済的にも文化的にも目まぐるしい成長を経験した時期となった。フォード社によるベルトコンベア式の生産方法で大量に生産されたT型フォードは、一般庶民も自動車を購入できる程の値段で販売され、ここから現代の大量生産、大量消費社会が始まった。

 しかし、前例のない経済成長を遂げたアメリカであったが、1929年の株価大暴落し、次々と企業が倒産したことで失業率が25%以上まで上がったと言われている。不景気は世界各国へと拡大していき、世界恐慌となった。その後のファシスト政権の台頭は、まさにこのような社会状況の中で人々の不安や不満が蓄積していった結果であると言える。そのような独裁政権に率いられたドイツ、日本、イタリアの枢軸国に対して、民主主義による対ファシズムを掲げたイギリス、アメリカ、ロシア、フランスとの大戦が始まった。

 

第二次世界大戦の勝利、覇権国家としてのアメリ

 開戦当初はドイツが次々とヨーロッパ諸国を支配していき、ダンケルクの戦いではイギリスに勝利した。しかしアメリカ参戦後、ドイツの勢いは徐々に終息していき、1945年5月に降伏した。太平洋においては、真珠湾攻撃後、戦況を有利に進めた日本であったが、ミッドウェイ海戦を契機にアメリカの技術力と生産力に圧倒され、1945年の8月に終戦を迎えた。

 第二次世界大戦で連合国側を勝利に導いたアメリカは、他の連合国とは異なり国内の被害がなく、またイギリスやフランスに対する軍事支援により唯一の第二次世界大戦で経済的な損害を負わなかった国であった。そんなアメリカは、イギリスに代わる覇権国家として国際連合IMF世界銀行などの国際機関を設け、さらには米ドルを基軸通貨とするブレトン・ウッズ体制という新たな経済体制を作った。第一次大戦後とは異なり、完全に覇権国家としての地位を確立していったアメリカは、次第にソ連を中心とした共産主義圏との対立が加熱した。

 第二次世界大戦中は、同じ連合国として協力した米ソであったが、戦後は共産主義を掲げるソ連アメリカの自由民主主義と資本主義への脅威となり始めた。ヨーロッパも西の資本主義圏と東の共産主義圏に分裂し、世界はこの二つの陣営が対立するという構図になった。

 米ソの対立は直接的な戦争にはならなかったものの、二つの大国の対立は世界をかつてない程の緊張状態に陥れた。アメリカは、ソ連の影響力がヨーロッパで拡大し続けないために、マーシャルプランによる西ヨーロッパ諸国への経済的支援や、東の共産主義圏に対して軍事的、経済的に封じ込めを行った。またソ連による軍事侵攻を防ぐために、アメリカや西ヨーロッパ諸国がNATOと呼ばれる軍事同盟をつくった。その後、アメリカは冷戦終結の1989年まで朝鮮半島アフガニスタンベトナムニカラグアなど多数の国々の内政に干渉することで、共産主義勢力の拡大を食い止めることに専念した。西側陣営の宗主として、他の国とは比較にならない程の協力な軍を構築した。

 

ソ連の崩壊、そして新たな大国の台頭

 1991年にソ連が崩壊したことにより、アメリカは世界唯一の覇権国家として圧倒的な国力を誇示した。絶対的な覇権国家になったことにより、自由民主主義と資本主義を世界に広め、世界に繁栄と秩序をもたらすことができると考えた。そのためにはイラクフセイン政権や、アフガニスタンタリバンのような勢力を撃退し、アメリカの考える世界秩序を守ることが第一の目標となった。冷戦終結後30年近く経つが、NATOは解散することなく、むしろ拡大し、アメリカ国外の米軍基地の数は500を超える。こうして冷戦後も世界中に影響力を持ち続けてきたアメリカであるが、トランプ大統領就任以来、国際社会での立場が変わってきている。トランプの自国第一主義的な立場は、19世紀の前半や第一次世界大戦後の孤立主義に逆戻りしている様にも思える。中国が台頭しているなか、今後アメリカがどのような立場をとっていくのだろうが。