5000万人の命を奪ったスペイン風邪とは?

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 今年の1月頃に武漢発祥のコロナウイルスについてニュースで放送された時、2ヶ月後にこれほど世界に大きな影響を与えることになるとは誰も予想しなかっただろう。国境をまたいだ活発な人の往来はウイルスを瞬く間に世界中へ広めパンデミックを引き起こし、メディアで連日コロナウイルスに関する情報が飛び交う。そんな中100年前に発生したパンデミックについて耳することがあるかもしれない。歴史上度々伝染病の大流行があったが1918年―1919年にかけて世界中で大流行したスペイン風邪は、進展していたグローバル化によってこれまでの伝染病とは比にならないほど世界中に広がった。
 1918年といえば第一次世界大戦の最中で、人の往来が多かったことが感染拡大を加速させた。スペイン風邪という名前からスペインが発祥であると誤解されるが、実際は大戦中に中立国であったスペインのみがこの病気に関してメディアで取り上げていたため、この名前が用いられるようになった。実際には病原菌の発生源は定かではないが、カンザス州内の軍事キャンプが最初のケースであったと言われている。1918年の夏頃にキャンプ内でアメリカ軍の兵士数名が高熱で倒れたが、軍事キャンプ内で軽い病気にかかることは稀ではなかったため、それに対して特に処置をとることもなくキャンプ内にいた兵士は次々と戦地へ送り込まれた。通常の風邪とは異なりキャンプ内にいる兵士が次々と高熱に襲われ、ついにはキャンプ内のほぼ全ての兵士が感染により倒れてしまった。異変に気づいた頃にはもう遅く、キャンプにいた兵士は戦地であるフランスへと大量に運ばれ、感染はフランス内にも広がった。
 ヨーロッパに渡ったウイルスは次々と広まり、大戦に参加していた日本をはじめ義勇軍として多くの兵をだしていたインドなどアジアの国々にも広まった。世界各国で政府はマスク着用を人々義務付け、劇場やサーカスなど人が多く集まる場所を閉鎖した。しかし現代のように感染者の検査手段はなく、また感染者を追跡するのも困難であった。さらに戦時中であったことから兵器を生産する工場を閉鎖することができず、多くの労働者が感染を恐れながら働き続けなければならなかった。
 最終的には世界中で5億人の感染者をだし、少なとも5000万人もの命を奪った人類史上最悪のパンデミックとなった。感染者の中には当時のアメリカ大統領ウィルソン、イギリス首相ロイド・ジョージの他に画家のクリムトは感染により命を落とした。もちろん現在蔓延しているコロナウイルスがこれほどの感染者や犠牲者をだすことはないだろうが、世界中に恐怖を与え全人類に影響を与えた面では同じであろう。
 しかしスペイン風邪の大きな特徴の一つとして死者のほとんどが15歳から40歳と若年層であった。これは死者のほとんどが年配層であるコロナウイルスとは大きな違いである。この理由としてはこの年齢層が19世紀の後半に流行したインフルエンザを経験しておらず、免疫がなかったため感染した場合重体化するケースが多かったと言われている。しかしこれは若年層が減少したことで結果的に労働者の数が減り、賃金の上昇や労働者の待遇が改善したという影響をもたらした。
 もう一つコロナウイルスとは大きく異なる点の一つとして経済に対する影響がある。現在のコロナウイルスでは、感染拡大を防ぐためほとんどの経済活動が停止状態となっており、失業者の増加や経営破綻などに多くの企業が陥っている。流行が消息した後も経済の悪化が懸念される。しかしスペイン風邪が流行した20世紀初頭は現代ほど経済が中央集権化しておらず、流行が終息した後はアメリカの黄金時代といわれる20年代の経済成長のような世界的な経済成長を経験した。また不幸中の幸いとして戦時中であったことから、もともと供給能力が低くかったことによりハイパーインフレーションの様な事態にも陥らなかった。
 現代では経済のグローバル化がすすんだことにより様々な恩恵を受けられているが、複雑化した経済体制であるからこそパンデミックのような災害が起こった場合に受ける損害は非常に大きい。特に中国やアメリカのような大国の経済が停止した途端、その影響が全世界に及ぶということは今回のパンデミックにより痛感した。しかしもちろんグローバル化した世界であるからこそ、医療支援や情報共有など互いに協力しあいながらパンデミックのような災害を乗り越えることができる。今後環境問題が深刻化するなか、パンデミックのように各国が協力して解決に取り組まなければならない問題が増えていくと予想される。今回のパンデミックよりも深刻な事態が訪れた場合、大国同士が手を取り合って助け合うことはできるだろうか。